草木染め教室・・・能登のPR |
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草木染め教室が「FMラジオななお」の取材を受け2002年11月30日(土)全国ネットで放送された。
2003年7月の能登空港開港前に能登の様々な魅力を全国に紹介したようだ。 この草木染めグループは1998年4月に「おばあちゃん達の草木染め教室」として発足。発足当初は、私こと「能登の手」が教えていたが、ぐんぐんと腕を上げて「絞りの模様」を草木染めでできるようになり、針と糸を使った縫い絞りのできない私は教えることができなくなった・・・よって実技講師解任(^^; 今はカミさんが週1回ポイントを教えるだけで、メンバー8人は次々と作品を染め上げている。 ちょっとスゴイのは、平均年齢が6?歳なのに学ぶ意欲の高いことだ。メンバーの中には生け花の先生もいれば郷土料理の達人もいるし、パソコンをはじめた人もいる。 そんなだから、いつのまにか、暖簾やタペストリー以外に、バッグやクッションまで作ってくる。旅行に行けば他の所の草木染めを見学し内容をチェックして帰って来るし、自宅の庭に「アカネ」を栽培する人までいるのだ。 その辺の教室で草木染め講師をしている人よりレベルは高い!(かもしれない)と言っておこう。ココだけの話だが・・・(^^; 一つだけ欠点があるといえば、能登の人間にありがちな引っ込み思案からか、謙虚さからか、作品を売ろうとしないことだ。 「値段つけて売ったらイイですよ」と言っても「いいわいね〜」「はずかしいがいねぇ〜」「孫の誕生日に、あげるぎ」「嫁にたーしるげや」「子供や、持って帰ったがいね」という言葉が返ってくる。 作品のほとんどを家族や知人にあげているらしい。どうやら年金生活者が精神面でも1番豊かなようだ。 でも、実際に、これだけの作品にするための手間はものすごいものなのだ。完成までに12〜15回も染めているものもある。 私達夫婦の草木染めは、この「おばあちゃん達の草木染め」によって支えられてきた部分が多い。 この作品の裏側に見えるものは、染色方法や絞りの技術ではない。それは能登の暮らしの中で培われてきた粘り強さだと思う。粘り強さが無かったら、能登では生きていけなかったのだ。 「豊かな自然」「素朴な人情」が能登の売りらしい…。それって、日本全国の田舎で言えるんじゃないの・・・という突っ込みをしたくなるが、田舎の荒廃のスピードは加速度を増している。過疎が進み、あまりにも人間が居なくなり過ぎだ。 人間が居なくなり手を加えられなくなった自然は、人間が乱開発をするのと同じように崩壊していく。海も山も田も畑も荒れたままに放置されてしまう。 「自然が豊か」「素朴なふるさと」と言う。能登を売るために、内容を問わずに空騒ぎするPRもたくさんできてきた。 人の居なくなってしまう過疎地で、荒れていくのを目の当たりにしながら、ちっぽけな私たちには、それを止めることも何もできはしない。 ただ、今ここで暮らしている人と共に、自然の色を使って精一杯の楽しみ方をするだけしかない。・・・ 少しも能登のPRにならない草木染め教室かもしれない・・・(^^;。 ―――――――――――――――― |
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